彼女の素顔

INTERVIEW

Vol.20

Sitarvee Limnantharak

タイから日本へ、すべてを学び直した一年。
表彰台を目指す21歳のフォーミュラ挑戦

Sitarvee  Limnantharak

日本で、初めて尽くしのシーズンを戦う




タイ・バンコクからKYOJO CUPに挑戦するシタルウイ・リムナンタラック。

“ミニー”の愛称で親しまれる彼女にとって、2025年は初めて尽くしのシーズンだった。

日本でフルシーズンを戦うこと。富士スピードウェイを走ること。そして、フォーミュラカーでレースをすること。

カートではヨーロッパ各国を転戦し、ル・マンで開催されたIAME X30 CHALLENGEの世界大会にも出場した経験を持つミニー選手だが、KYOJO CUPでの挑戦は、それまでとはまったく違うものだった。

「日本でレースをすることは、とても大変でした。新しいレーススタイルに適応しなければいけなかったし、文化も、言葉も違いました。何より、クルマ自体が初めて乗るものでした」

短い言葉の中に、この一年の難しさが詰まっている。

タイやヨーロッパで培ってきた経験があっても、日本のレース環境に入れば、すべてを一から学び直さなければならない。サーキット、マシン、チームとのコミュニケーション、限られた走行時間。そのすべてが、ミニー選手にとって新しい課題だった。

それでも、シーズンが進むにつれて手応えもあった。

「シーズンの終わりに向かって、自分のドライビングはかなり良くなったと思います。でも、まだ改善する余地はありました。その途中で、チームからもたくさん助けてもらいました」

国境を越えて磨いた、適応する力



ミニー選手の強みのひとつは、新しい環境に適応していく力だ。
それは、幼い頃から国境を越えてレースをしてきた経験によって培われてきた。

10歳でカートを始めた彼女は、タイ国内だけでなく、イタリア、フランス、ドイツ、フィンランドなど、ヨーロッパ各国でレースを経験してきた。13歳の時にはル・マンで開催されたIAME X30 CHALLENGEにタイ代表として出場。練習走行中のアクシデントを乗り越え、女性ドライバーのベスト賞を獲得している。

「いろいろな国に行くと、新しい人たちに出会います。そして、それぞれのドライビングスタイルを経験することができます。そういう経験が、新しい環境に素早く適応する力を教えてくれました」

その適応力は、KYOJO CUPでも必要とされた。

日本でのレースは、タイやヨーロッパとは違う。なかでもミニー選手が最も難しいと感じたのは、フォーミュラカーそのものだった。

「一番難しいのは、クルマです。実際、とても重いです。これまで自分が乗ってきたクルマとはかなり違います。それに、練習できる時間も限られています。だから、限られた時間の中で早く適応して、早く進歩しなければいけません」

結果を出すためには、迷っている時間は多くない。走るたびに情報を吸収し、次に生かす。その繰り返しが、ミニー選手の2025年だった。


父が走った富士で、娘が挑むフォーミュラ




そんな彼女を支えてきた存在のひとつが、父であるクリエンクライ・リムナンタラック氏だ。タイや東南アジアのレース界で活躍し、かつて富士スピードウェイで開催された国際レースにも参戦した経験を持つ、タイのモータースポーツ界のレジェンドである。

ミニー選手にとって父は、カートを始めた時からの唯一のコーチだった。

「カートを始めた時から、父が私の唯一のコーチでした」

特別なアドバイスはあるのかと聞くと、彼女は笑って「ない」と答える。だが、言葉が多くなくても、父の存在は確かに彼女のキャリアを形作ってきた。

かつて父が走った富士スピードウェイで、今度は娘がフォーミュラカーを走らせている。その事実だけでも、ミニー選手の挑戦には特別な物語がある。


学びながら走り、クルマを理解していく




一方で、ミニー選手はレーシングドライバーであると同時に、大学生でもある。タイの名門、チュラロンコン大学に通いながら、国際的なレース活動を続けている。

学業とモータースポーツの両立は簡単ではないように思える。だが、彼女にとっては幼い頃から続けてきた日常でもある。

「カートを始めた10歳の頃から、ずっと両方をやってきました。だから、今はもう大きな問題ではありません。小さい頃から、勉強とレースの両方を学んできました」

大学ではFormula Student(学生フォーミュラ)にも参加している。自分の強みを聞かれると、最初は「わからない」と少し照れたように答えたミニー選手だが、やがてこう続けた。

「大学でFormula Studentをやっているので、クルマがどう動くのか、仕組みについてはたくさん知っていると思います」

ドライバーとして走るだけではなく、クルマを理解すること。
その視点もまた、彼女の成長を支える一部になっている。


タイを代表して、表彰台へ




2026年のKYOJO CUPでの目標を聞くと、ミニー選手の答えは明確だった。

「表彰台に立ちたいです」

将来的には、できるだけ高いステップへ進みたいという思いもある。だが今は、目の前の目標に集中している。

「できるだけ高いステップに行きたいです。でも今は、今年の目標に集中したい。それはKYOJOで表彰台に立つことです」

ミニー選手にとってKYOJO CUPで戦うことは、自分ひとりの挑戦にとどまらない。

「タイには、フォーミュラカーやフォーミュラレースがありません。だから、これは私が自分自身を、そして自分の国を、より大きな舞台で代表することだと思っています」

タイでも近年、F1の影響でモータースポーツへの関心は高まりつつあるという。F1を見る人が増え、そこから他のカテゴリーやドライバーにも興味を持つ人が出てきている。とはいえ、フォーミュラに挑戦しているタイ人ドライバーはまだ多くない。

だからこそ、日本でKYOJO CUPを戦うミニー選手の姿は、タイのファンにとっても大きな意味を持つ。ファンに向けたメッセージをお願いすると、こぼれるような笑顔で優しく話した。

「これからも応援してください。私はベストを尽くします」

支えてくれるファン、チーム、家族への感謝も、彼女は忘れない。

「応援してくれて本当にありがとうございます。たくさんのプレゼントをもらえることも、とても大きな意味があります。たくさんのファンがいるのを見ると、すごく励みになります」

最後に、レーシングドライバーを夢見る若い女の子たちへのメッセージを聞くと、ミニー選手はとてもシンプルに答えた。

「挑戦して、たくさん練習することです」

華やかな言葉ではない。だが、10歳からカートを始め、国を越えてレースを続け、学業と両立しながら日本のフォーミュラに挑んでいる彼女が言うからこそ、そのひと言には重みがある。

新しい環境に飛び込み、わからないことをひとつずつ学び、限られた時間の中で成長していく。

そして、自分の国を代表する気持ちを胸に、より大きな舞台を目指して走り続ける。

KYOJO CUPでの一年を経て、ミニー選手の目標ははっきりしている。
次に目指すのは、表彰台。

タイから日本へ渡った20歳の挑戦は、ここからさらに加速していく。