スポット参戦したKYOJO CUP
最終戦でその存在感を発揮

2024年のKYOJO CUPの最終戦。過去最多の37台が参加し、各所でバトルがヒートアップする中、終盤での第2集団による6番手争いもレースを盛り上げた。順位を入れ替えながらバトルを繰り広げ、6番手を奪取したのが白石いつも選手(以下、いつも選手)だ。
「KYOJOは第5戦からスポット参戦していて、そのときからシングルを狙っていたんですけど、エンジンを壊してしまって悔しい結果になっちゃって。それでVITAでの練習を重ねて、最終戦ではなんとか爪痕が残せました。ホンマはチームオーナー的には、表彰台に乗ってほしかった気持ちがあったと思います。」
やわらかな関西弁とチャーミングな笑顔が印象的な、いつも選手。強気なコメントでも嫌味がないのは、朗らかな人柄によるものなのだろう。11歳から始めたカートでメキメキと頭角を現し、2023年にフェスティカサーキット瑞浪で開催された ROTAX MAX Festivalのシニアマックスクラスでは2位を獲得。2024年全日本カート選手権EV部門では、シティーサーキット東京ベイで行われた第4戦で総合6位と健闘。女性ドライバー最上位を獲得し、DUNLOP賞を受賞した。男女混戦の中で競い合い、積み上げてきた実績がある。
だからこそ、KYOJO CUPのVITAカテゴリーにも物怖じすることなく挑めた。
「レース中はあんまり焦らない、みたいなのはカート経験で培われたと思います。でも、昨年のVITA最終戦はドキドキしました。同じチームだった斎藤愛未さんや三浦愛監督が、励ましてくれたのがありがたかったですね。レース経験が豊富な三浦監督にすぐそばで教えていただけるのは、貴重な体験でした。」
恵まれたレーサー環境で技術を高め
挫折経験を乗り越えステップアップ

ジュニアカート時代から、父が営む企業がいつも選手をスポンサード。恵まれた環境のもとでレース経験を重ね、実力をつけてきた。高校1年で、世界トップレベルのモータースポーツで活躍する選手を育成する、ホンダレーシングスクール鈴鹿(以下、HRS)にも入った。
「高校2年の頃、戦績がなかなか出せなくなりました。それまでは、台数の多いレースでもタイムトライアルで予選1位とか、ラッキーなことに上位を取ってきたんです。そんなときに、マシンやタイヤが新しく変わって、今までとは特性も違ってきて、なかなかそれにうまいこと合わせられんくて。後れを取っている間に、周りの選手たちのレベルがグッと上がってきて、気がついたときには私は毎回レースで中盤か、それ以下を走っていて。あんなに楽しかったカートが、楽しいと思えなくなっていきました。」
HRSも2年目に入り、せめてスクールでは良い結果を出さねばと、やる気を奮い起こした。
「でも、スクールにもレベルの高い子が1年目で入ってきたりして、実力の差がはっきり出ちゃうわけです。自分のポジションを目の当たりにして、自信を失いました。ホンマにカートを辞めようかと、一人で悩んでいました。」
カート歴7年目にして初めてぶつかった壁。それは人生初の挫折でもあったが、いつも選手は逃げ出さなかった。
「辞める勇気もないし、続ける自信もないし。乗ること自体、イヤになったカートだったけれど、乗りまくることで結果を出して壁を乗り越えました。やっぱり長く続けてきたことだったので、辞めるという選択はできませんでした。」
大学生活とフォーミュラマシン
楽しみながら挑む2つのデビュー

挫折した原因も乗り越えた解決策もカートだったという経験は、いつも選手にとって「量乗ることの大切さ」をあらためて実感させるものに。
「KYOJO CUPのためにVITAに乗り始めたのが遅かったので、第5戦で悔しい思いをした後、スパンを短くVITAに乗って練習を重ねたら結果がついてきました。練習の質はもちろん大事ですが、量乗ることで技術力が上がっていくように思います。」
2025年のKYOJO CUPは、フォーミュラマシンでの挑戦となる。
「乗ってみたらカートを思い出す感じやったんですけど、スピードが時速20kmくらい上がるだけでパワーもハンドルの振動具合も全然ちがくて! 走行練習では『え〜、どうしよう〜』って震えていました(笑)。でもブレーキの感触も掴めてきて徐々にタイムもついてきているので、開幕戦までにあと2秒上げたいところですね。」
絵を描くことが大好きで、今春から神戸松蔭女学院大学のデザイン系の学科に通う、いつも選手。海外の遠征では“ALWAYS”とネームプリントされたレーシングスーツをまとっているそうだ。KYOJO CUP 2025でも、唯一無二のその名前を轟かせてくれることだろう。