昨シーズンは最終戦で表彰台へ
優勝に一歩及ばずリベンジを誓う
2024年12月、富士スピードウェイで開催されたKYOJO CUP最終戦。永井歩夢選手(以下、歩夢選手)は予選から快調だった。過去最多となる37台でのタイムアタックに、コース上ではトラフィックが発生する状況の中で、歩夢選手は3番グリッドを獲得。迎えた決勝では序盤で混戦模様になりながらも上位をキープし、最終的に2位で表彰台に上がった。
「昨シーズンで一番良かった戦績ではありましたが、トップとの差が詰めきれず、自分的にはちょっと悔しい結果でしたね。レース前に監督から『優勝以外は要らない』と喝を入れていただいていたんですが、それは達成できなかったので。」
歩夢選手は2021年からKYOJO CUPに参戦。トップ集団と追いつけ追い越せのバトルを、たびたび披露してきた。
「シーズンを重ねるごとにKYOJOメンバーの技術力が上がっていき、一番差が出たのはセットアップといったメカニック的なことでした。急なセット変更でも、いかに自分のピークを持っていけるかはレーサーの腕次第。私はちょっと詰めが甘いので、そこは課題ですね。
2023年は何度か表彰台に乗っていたんですけど、それに比べると2024年は最終戦の一度だけで。今年はKYOJOも5年目なので何とかリベンジしたいです。」
2025年、歩夢選手はKYOJO フォーミュラへとステップアップする。VITA戦での消化不良な思いをバネに、新たなステージで雪辱を果たす予定だ。
モトクロス競技から四輪へ転向
培った経験全てをフォーミュラの糧に
歩夢選手がレーサーを目指し始めたのは、小学生の頃に遡る。家族の影響で7歳からモトクロス競技に取り組み、高校1年生のときには全日本選手権レディースクラスで3位入賞。実績を積み上げながら本格的なプロライダーを目指すも、20代に入ると心機一転。四輪へと方向転換し、モータースポーツの道を歩み始めた。カートから転向する女性ドライバーは多いが、歩夢選手のキャリアはなかなか異色と言える。
「モトクロス競技には長く打ち込みましたが、レース感覚などは四輪と共通する部分がほとんどないんです。それでも一回真剣にモトクロスという競技に向き合ってきたからこそ、活かせる部分もあって。それこそスランプのときに乗り越える術(すべ)が身についていたり、タイムが停滞したときは何をするべきか自分で答えを見つけられたり、意外と慣れているのかなって思います。」
四輪デビューはラリーだった。2020年には国内におけるラリー競技の最高峰「全日本ラリー選手権」に挑戦し、JN6クラスでシーズンランク5位に入賞した経験もある。二輪から四輪、オフロードからサーキットへとチャレンジの場を移しながら、フィジカルを鍛え、強いメンタルを醸成してきた歩夢選手。そして次なるステージが、KYOJO フォーミュラである。
「ぶっちゃけると、このステージまで来られるとは思っていませんでした。まだまだ成長しそうな若手選手がたくさんいる中で、自分にお声が掛かるとは想像もしていなかったので。だから内定をいただいたときは驚き半分、不安半分という感じで。フォーミュラには体験走行程度しか乗ったことがなく、どこまでやれるのかなと、自分自身のことも運転技術も信用できなかったんです。」
自分自身の中にある壁を乗り越えて
「いつでも今が一番」を目指す

最初はフォーミュラの風格に圧倒された歩夢選手。シーズン前に密度の濃い練習に取り組み、走行練習を重ねながら徐々に感触を掴んできた。
「KYOJOのフォーミュラと似た車格の車両に乗る機会をいただきました。また、合同テストの前に富士スピードウェイでのスポーツ走行でも走らせてもらったのですが、そうやって回を重ねていくごとに走りが良くなっている感じがします。たとえば、昨日は100%辛かったことが今日は90%に感じる。すると、あと10%余裕があったとか、10%頑張れる!とか、そんな風にポジティブにフォーミュラと向き合っています。」
イコールコンディションで行われるレースには未知の可能性を感じていると言う。
「フォーミュラに車両が変わって、ワンメイクになったことはデカいんじゃないですかね。それでチーム力がイコールになったということですから、選手の勢いや技術が出やすくなったと思います。10代の選手たちのタイムがパーンと上がってきているので、置いていかれないためにもブレーキングやステアリングの操作をもっと上達させたいです。」
技術力のさらなる向上も視野に、歩夢選手は今シーズン、MEC耐久レースにもスポット参戦する。
「どのレースも、そのときやれることをやるだけです。いつでも今が一番なんで(笑)」