F1人気が高まりつつある中国から
17歳の若きレーサーがKYOJO参戦
中国のめざましい経済発展は誰もが知るところだが、モータースポーツ分野の成長も世界中から注目されている。上海インターナショナル・サーキットで初めてF1グランプリが開催されたのは2004年。2022年にはカートで育った周冠宇選手が中国人初のF1ドライバーとしてデビューした。そして2025年、GTワールドチャレンジ・アジアの最終戦が北京ストリートサーキットで開催される。
そんな熱き中国からKYOJO CUPに参戦するのが、エミリーことジャオ ユンチェン選手(以下、エミリー選手)だ。
「北京市生まれの17歳です。カートを始めたのは11歳のときでした。最初は趣味程度だったのですが、走る楽しさに目覚めて。12歳から本格的なカートレースに参戦しています。初レースの思い出は、あまり上手く走れなかったこと。でも参戦を重ねるごとに、速さや技術を競い合うモータースポーツの魅力にどんどん惹かれていきました。そこからくらいですね、レーサーになりたいと思ったのは。」
もっとカートに打ち込みたいという思いが強まる一方で、中国の教育事情においてそれは非現実的な話だった。受験競争が激しく、中高生は1日平均16時間勉強するといわれる環境の中で、エミリー選手も例外ではなく、勉強に集中しなければならなかった。
「中学時代、とくに13〜14歳の頃は勉強が忙しくて、一旦レースは休みました。それでもカートが上手くなりたい気持ちが消えることはなかったので、あの頃はレース出場できないことがジレンマでしたね。」
進学先の北京市内の高校には国際部門があり、先生をはじめレース活動にとても協力的だという。
「高校に入ってからすぐ、両親に『またレースがしたい』と宣言して。今は学業を両立しながら、思う存分、レースを楽しんでいます。」
2024年、カートでチャンピオンに
培ってきた技術を日本で腕試し
2024年、中国で開催されたカートレースで全国チャンピオンに輝いたエミリー選手。勝利を追い風に、日本のカートレースにも積極的にチャレンジし始めた。
「去年は日本遠征の年と言っても過言ではない一年でした。フェスティカサーキット瑞浪でのカート選手権には4回、APGオートパラダイス御殿場(以下、APG)でのレースにも7回ほど出場しました。たびたび来日していた印象です。北京国際首都空港から日本の羽田空港までは直行便で4時間ほどなので、移動はだいぶ慣れました。」
エミリー選手にとって、日本は子どもの頃から観光目的も含めてたびたび訪れてきた馴染みのある国。その日本でのカートレース参戦に、エミリー選手はどのような印象を抱いたのだろうか。
「中国では女性レーサーはまだまだ多くありません。アジア全体で見ると、日本の選手たちはみな上手でレベルが高いと思います。どんな試合も私にとって素晴らしい経験になっています。こうした積み上げが、ドライビングテクニックの上達につながっていくと思っています。」
2025年はフォーミュラでKYOJO CUPにシーズン参戦しつつ、瑞浪や鈴鹿で開催されるカートレースにもエントリー予定だ。
このインタビューは合同走行テスト後に行われたのだが、「1週間後、また日本へやってきます。忙しいです。」と言って、エミリー選手ははにかむように微笑んだ。
国際色豊かなKYOJO CUPで
能力アップに努め、実績を残す
フォーミュラの車両に対しては他の選手同様にまだまだ不慣れだ。
「KYOJO CUPでは車両が一括管理されているのでイコールコンディションとは言われていますが、自分の経験値から考えると決して有利なわけではないと考えています。走行練習を重ねながら、モノにしていきたいと思います。あと、富士スピードウェイのサーキットも初めてなので、努力が必要だと思っています。」
APGには何度も訪れているが、ワイドスケールな富士スピードウェイには新鮮な感動を覚えた。
「天気が良いと景色が本当に美しいですし、メインストレートを走る際はスピード感がたまりません。あと、どのコーナーも攻め甲斐があって、自分の能力がアップするような期待感を感じました。」
フォーミュラレースに対しての真摯な向き合い方は、誰にも負けないエミリー選手。
「KYOJO CUPにはイギリス、アメリカ、タイの選手もいて、コミュニケーションも楽しみ。レースはもちろん、英会話も力を入れていきたいです。カートレースでは毎戦、第一集団を狙い、フォーミュラは昨日の自分より今日の自分へとレベルアップすることを目指して頑張ります。」